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![]() 僕がこの「養鶏業」を始めたのが、2002年9月26歳からのスタートになります。 それまでは家の外に出て、養鶏とは畑違いのサラリーマンをしていました。 本当の事を言って、養鶏をやりたいと思いませんでした。 しかしサラリーマン時代に営業を経験したり、 ホームページを作っていたりしたせいか、 これらの職種の良い点を養鶏で生かせる!! と思い、思い切って脱サラしました。 外の世界を経験して初めて 「養鶏業は面白そう」ということに気づきました。 まるで何かに導かれるように・・・。 小さい時から、ずっと身近だった養鶏。 保育園の頃、卵を拾う手伝っていたときに、 卵の積んだ台車を倒して、 うちの父親にめちゃくちゃ怒られたうえに鉄拳を喰らった事は 昨日のことに思い出します。 (うちの父親はめちゃくちゃ怖いっ!!) エサのタンクを支えている鉄柱に、 思いっきり頭をぶつけて、 血が噴出した思い出もありましたね。 ![]() (イメージ図 本人より) そして養鶏を本職としてやり始めた時、 卵を一杯積んだトラックを運転し、 右折したときに、トラックに遠心力が働き、 約5000個のたまごをぶっちゃけたこともありました。 道がたまごの海になってました・・・。 (イメージ図 こんな感じ) こんな苦い経験を今思い出しました・・・。 (地元でもよくたまごを道に落とすらしいですが、 新記録を樹立したそうです) そんな僕が、小学生の時書いたタイムカプセルに 将来の夢で 「養鶏をやる」 と書いてありました。 ただ漠然と書いた将来の夢を今現在やっているのを見て、 やはりこれは僕の天命かもしれないと感じました。 しかも母・智子さんからこんな話を聞いてびっくりした話。 昔々の話。うちには姉・兄がいて、 うちの両親はもう子供は要らなかったそうな・・・。 しかしあるところに地元に所属している 養鶏組合の組合長がうちの父に、 「仕事はあと何十年は出来るが、 子供はいましか作れないぞ!!」 と諭されたそうです。 その一言が無ければ僕はこの世には生まれてこなかったそうです。 養鶏組合長の一言で生まれてきた僕・・・。 何かの奇縁を感じるのは僕だけでしょうか? プルルンたまご伝道師の裏側をちょこっとだけ紹介させていただきました。 「人成って技育つ」 これは母校で覚えた言葉です。まず人が育たないと良い卵も出来ません。 と言っても僕もまだまだ未熟ですが、 今父・母の懐の厚さをうけ、 かつて仕事のことを教えてくれた上司や先輩、 僕の性格をいつも苦々しくも 快く受け入れてくれる友人 うちのたまごを喜んでくれるお客さん 笑顔で出迎えてくれる我が子 そしていつも迷惑をかけている妻には 本当に頭が上がりません。 皆さんに支えられて今養鶏をさせていただいてます。 ![]() ますます良い卵に磨きをかけますので楽しみにしてください!! |
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